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執筆した書籍のご紹介

タイトル表紙.png
    幻冬舎より発売中
  「ブラックリーマンの
   新築RC一棟不動産投資法」

 



【書籍のダイジェスト版】

はじめに

この本のタイトルにある「ブラックリーマン」は私の造語です。
一般的に、自社の社員に残業代を意図的に支払わない会社等をブラック企業と言うように、
私が会社にとってブラックな(不要な)存在であることを自虐的に表現した造語です。

私は2008年のリーマンショック時に、ゼネラルマネージャーから平社員に降格して今現在の月給は当初の約半分に下がりました。降格して職責の重みが減少したため、自分の能力をフルに使う仕事がなく、朝が来たら出社し時間が来たら帰る、ただ決められた拘束時間だけ仕事をしている環境で働いているブラックリーマンと言えるでしょう。
リストラこそされてはいないものの、一般社員と比べてパソコンを使う機会がなかったためにPCスキルはほとんどなく、仕事も上司から指示がないと何もできない落ちこぼれの社員のため、将来の出世の見込みははっきり言ってありません。

現在、その会社に在籍しているので、あまり会社のことをお話しはできませんが、東証1部上場の人材ビジネス会社の子会社で働いています。その会社では、年収や月給が半減したものの、特に何の遺恨もなく普通に仕事をしています(少なからず自分ではそう思っています)。
では、経済的な環境として会社の給料が半減し降格もしながら、なぜサラリーマンとしてこの会社で働き続けるのでしょうか? 他の会社に転職もできないからでしょうか?
いえ、それは会社以外の収入を持つこと(自分のビジネスを持つこと)で、ある程度の経済的自由と会社を好きなタイミングでリタイアするアドバンテージを自分サイドで握っているからです。そんな私がブラックカードホルダー(ブラックカードとは、いわゆるクレジットカードの最上級グレードのカード。年間に一定金額を使い、一般的にはインビテーションがないと入会できないカードのことです)になれたきっかけが、不動産投資(投資リテラシー)だったのです。

本書では、そんな落ちこぼれのブラックリーマンの私にでもできた不動産投資法、不動産経営法をあます所なく公開し、サラリーマンでありながら会社に依存しない「本当に自由な生き方」の素晴らしさをお伝えしたいと思います。

本書の構成として第1部では、サラリーマンにとって投資リテラシーがいかに重要かを説明するために、今後を取り巻く環境や背景として、労働経済や社会環境などを私個人の主観的な観点から説明します。第2部では、具体的な経済的自由を得るため(ブラックカードホルダーになるため)の不動産投資法や考え方、そこに至る思考プロセスを紹介したいと思います。そして第3部では、具体的な事例を紹介しながらノウハウに近いものを紹介します。
それでは、どうぞお好きなところから読み進めていただければと思います。

第1部 労働経済や社会的環境から必要な投資リテラシー

兼業解禁論
2016年の10月のとある日、日本経済新聞にこんな記事が掲載されました。
イノベーション促す働き方 兼業・副業解禁の行方終身雇用がなお一般的とされる日本企業では、社員の「兼業」「副業」を制限してい
るところが多い。中小企業庁による2014年度の調査で容認している企業は3・8%にとどまるものの、ここに来て広く認めようという議論が官民双方から出ている。
「兼業や副業は当たり前に」と8月に提言したのは、厚生労働省の有識者会議「働き方の未来2035」懇談会。経済同友会も「兼業禁止規定の緩和を」と同調した。
背景には、米国を中心に新たな働き方が急速に広がり、近い将来に日本にも波及するとの問題意識がある。
(2016年10月2日『日本経済新聞』より)

「兼業や副業は当たり前に」、そして、米国を中心に新たな働き方が急速に広がり、近い将来に日本にも波及するというもの。このような議論がなされる背景には、日本においての人口減少や少子高齢化、そして労働力不足の解消策として、副業により労働力を維持したいということがあると言われています。

英ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン、アンドリュー・スコット両教授は、近著『LIFE SHIFT』で、長寿化が進んだのに、従来どおりの定年制度のまま長生きすると、
年金だけでは生活することが厳しいとの見解を述べており、長寿化による雇用環境の激変の時代を迎えていることを示唆しています。
だからこそ、従来の働き方で長く働くことを目指すよりも、人生のいろいろな局面で同時並行的(パラレル)に他の業界や業種、職業で仕事をしてスキルアップができるような、ポートフォリオ的な仕事をする。これはまさしく、現代のサラリーマンが終身雇用や年功序列制度の崩壊に立ち向かい、自ら自己研鑽をしながら、自らの意思で生きるチカラを身に付ける必要があると説く能動的なキャリアセラー、『最強の働き方』の中で、著者のムーギー・キム氏が書
いていることでもあります。

今後は人それぞれに働き方が多様化していき、企業は何らかの変化やイノベーションを起こして時代の変化にいち早く順応していかないと、厳しい将来が待っています。
最近、個人が副業への関心を高めている理由は、ポートフォリオとして複数の仕事をするためと言われています。昔からあったような、お小遣い稼ぎというようなイメージではありません。つまり、個人が本業での仕事を全うしながら、副業において複数の仕事(ビジネス)から学び、それを自己のノウハウや知見とすることで、本業と副業のシナジー効果のようなものを求めているということでしょうか。もちろん、本業1本で自己の理想的な働き方や満足できる報酬をもらい、人脈も豊富に持って、社会貢献していることを感じるような仕事に就いて会社で自己実現できたらば、この上ない幸せなことではありますが。

パラレルワークのすすめ
2016年12月の日本経済新聞に、「正社員の副業後押し 政府指針、働き方改革で容認に転換」という記事が一面のトップにでました。副業・兼業禁止規定を「原則禁止」から「原則容認」に転換し、企業が就業規則を定める際に参考にする厚生労働省の「モデル就業規則」から副業・兼業禁止規定を年度内にもなくし、「原則禁止」から「原則容認」に転換するという記事でした。
先ほど、パラレルワークなるものを私の親会社で提言していることを伝えましたが、いよいよ世間一般的にもパラレルワークが浸透してゆくのではないでしょうか。

このパラレルワークの定義としては、本業のサラリーマン以外の何か別の社会的参画をすること、例えば、NPO団体に所属してボランティアをすること、近所の子供に英会話を教えること、趣味の模型を製作して売ること、親の家業の花屋の手伝いを会社の休日にすることなど、多種多様な形態があるのではないでしょうか。
パラレルワークをすることで、本業との関係では、会社事業全体を俯瞰的に見て判断するチカラが格段に上がることがあります。特に全体での最適解を常に見極める必要があり、限られた一人の時間をリソースとして使う必要がある個人事業主は、自らの判断をするために全ての経営に関わる知識や知見を浅く広く知る必要があります。この知識や知見を実際のワークを通じて学ぶことができるのがパラレルワークの魅力なのです。

これは、本業で事業を営む側のオーナー=資本家であれば当然なのですが、本業では少ならず雇われている立場なので、その自分の与えられた職責の範囲でしか判断することが許されません。それは資本家としての判断ではありません。したがってその判断は視野の狭いものとなってしまい、全体の最適解なのかというよりも、職責だけの領域においてベストな判断をしがちなのです。これをサラリーマンの保守的判断、職責領域判断と名付けます。
それに対比してパラレルワークで個人事業をすることは、自分の全責任を自分で持つわけです。それは規模が小さくても資本家の判断領域になるわけですから、その判断をすることは資本家そのものなのです。その資本家的な発想や立ち位置は、その立場や立ち位置で判断する訓練や経験を積んではじめて、自分の知見やノウハウとなります。だからこそ、本業では身に付きにくいパラレルワークを使って資本家的発想を身に付けることをおすすめしたいのです。
そして、この資本家的発想は習うものではなく、体験しながら身に付けるものであることから、会社を辞めて独立して起業するのではなく、会社に在籍しながら少しずつ経験値を増やし、ノウハウを培うものであって欲しいと思うのです。そして、その経験から得られた知見やノウハウ、人脈を自分の本業であるサラリーマンの仕事にも生かすことです。

会社ではサラリーマンの立場であっても、保守的判断、職責領域判断をするのではなく、大いに一定のリスクを冒すことです。サラリーマンの間にサラリーマンなりの失敗やリスクを経験させてもらい、失敗やリスクがあってこそリターンがあることも、身をもって体験しておくことです。

労働経済――サラリーマンでの中途退職は働き損?
労働経済を少し勉強すると、日本の正社員制度では、若いうちは正当な対価(本来、会社に貢献している成果に比べて)よりも少ない賃金で仕事をし、年齢を重ねるにつれて、ある年齢(一般的には45歳くらい)からは正当な対価よりも高い賃金を得ることにより、退職一時金とともに「後払い賃金」を形成することで、終身雇用・年功序列の制度がバランスよく成り立っていることがわかります。

※図面挿入
 

上の図は、年功賃金(年代別の決まって支給する現金給与額)をグラフにしたものです。年功賃金カーブがこのような形状となっている理由として、労働経済学的には、

① 人的資本理論(年齢とともに技能を積んでいく)

② インセンティブ仮説(若年時には労働生産性以下の賃金を支払うが、後でそれを埋め合わせるように生産性以上の賃金を支払うという雇用契約は、雇用意欲を高める効果がある)③ 生活費保証仮説(賃金は労働者にとって必要な生活費によって決まるはずであり、生活費は年齢・勤続年数とともに上昇するので、賃金もまた必然的に上昇する)などがあるそうですが、アカデミックな内容なのでこれぐらいにしておき、興味のある読者の方は、さらに勉強していただければと思います。
特に、「②インセンティブ仮説」では、賃金が後払いであることの裏付けとして長期で雇用すること、雇用されることを前提とした終身雇用の表れとも言えます。これは、蓄積しておいた賃金分を、定年退職するまでストックしておいたものを、緩やかに返してもらうようなイメージでしょうか。

これが終身雇用と年功序列の制度の根幹なのです。たとえると、若い時は一生懸命、我慢をしてカラダを使って余分に働き、歳をとったら、ある程度ゆっくりと仕事をしても、若い時の自分の頑張りや貢献度と相殺するイメージです。ということは、この現行制度で働いているとすると、45歳になる前に退職をすると、若い時に積み上げてきた賃金のプール分を放棄してしまうようなものです。次ページの図で言うと、年功賃金と限界生産力が逆転するポイントで退
職をすることです。この逆転するポイント以降は、限界生産力を上回った年功賃金がもらえることが若い時に働いてきた確約分として返還してもらえるようなものということです。
つまりこのポイントでの退職は、働き損になるということを意味します。したがって、この制度の企業では40~45歳くらいを機に、早期退職制度みたいなもので負の人材を整理し(皮肉にも優秀な人材が応募することが多いですが)、会社勤めに固執する中高年社員のコストである固定費を減らすべく、退職金に相当金額を上乗せして支払ってでも退職してほしいというわけです。

それは会社にもそのメリットがあり、余剰資金や経営計画の中で利益が出る年に計画的に相殺してしまいたいわけです。それ以上に一人の人材にかかる法定福利費や企業年金積立、パソコンやデスク、オフィス賃料のコストの按分、見えないコストである管理費(モニタリングコスト)等に、一般的には通常、賃金の1・5倍以上のコストがかかっているからです。一般の労働者側からは見えにくいのが、このモニタリングコストです。
通常、企業は、採用時に調査した能力通りに労働者が仕事をしているかどうかを監視します。企業が賃金を年功的にするひとつの理由は、このモニタリングコストを軽減するためと言われています。つまり、労働者に、若い時に働いて苦労しておけば年齢を重ねていくと見返りが返ってくることを期待して、監視されてなくてもサボらないようなモチベーションが働くので、監視費用であるモニタリングコストの軽減ができるということです。

これらの労働経済の視点から、サラリーマンを続けていく前提で考えると、45歳くらいの年齢になる前に、自分が高く売れるピークポイント(年齢的にも受け入れ先が多いとされる35歳まで)に転職するか、早期退職制度で退職するのが今後の理想、スタンダードと言えるかもしれません。その機会を過ぎた場合は、定年退職まで粛々と仕事をこなし、会社での人間関係の構築と自分の中でのいろいろな葛藤と、うまくバランスをとりながらサラリーマンを全うすることが、賢明な選択となる可能性が高いと言えます。

労働者が儲からない資本主義制度――マルクスの資本論より
マルクスの資本論によると、サラリーマンは自分の労働力を売って収入を得ること、つまり時間を売ることで対価を得るのであって、資本家は自己の資本を元手にサラリーマンという労働力を買ってきて、それを使うことによって対価(利益)を得ると定義しています。

あたかも、サラリーマンのような労働者は、資本家に比べて時間に拘束された、資本家(会社)の時間奴隷であるかのような表現が見てとれます。これを言い換えれば、会社に時間そのもの(人生)を売ったのと同じことだとも言っているのです。労働者は朝早くから夜遅くまで時間に拘束され労働力を提供して、その儲けは資本家のものになります。これは、儲けが多くても少なくても、同じ金額しか労働者は貰うことができないことを意味するので、時間(人生)そのものを資本家に売ったのと同じことだと言うことです。

高度成長期の日本の企業社会では、終身雇用・年功序列によって、会社に忠誠を尽くし、所定時間以上の労働時間を費やすことがよしとされる風習さえあり、中には残業代金をタイムカードにカウントせずに働くことで、会社に対する貢献度を美徳化する人さえ私の周りにもいました。その代償として会社は、手厚い退職金の規定や年金制度により、労働者の老後の生活をある程度担保することを約束していたわけであって、自己の時間を犠牲にして労働力を提供するに値する会社で勤め上げることができたら、手厚い退職金と福利厚生により、サラリーマンとしては、この上ない幸せな人生の一丁あがりがあったのです。

しかし反面、資本家は利益を上げることを目的とし、手段として労働者を使うわけですから、労働者からある種の搾取をすることで成り立っているともいえます。
これは厳密には違いますが、相対取引におけるゼロサムゲーム理論と似ており、一方の取り分が多くなると一方の取り分は減少するということです。つまり、資本家の取り分を増やすと、労働者の取り分は減るということです。そうでないことも往々にしてありますが、資本主義の制度がこのしくみとなっている以上は仕方のないことです。

サラリーマンの与信幅を使いきることが、最大の投資方法

多くの人々が、人生の中でやらない選択(不動産投資や起業などの新しいことをやらない選択)をするのは、「わからない」、「やったことがない」、「向いていない」という理由の他、最大の理由はリスクが高いということだと思います。このリスクが高いというのは、逃げ口実としてはうまく動機付けができており、やらない理由は探せばいくらでもあるものです。
そのやらない人(興味はあってセミナーや勉強会に参加したり本を買って読んだりするだけの人)に限って、儲かるらしいが自分には向いていない、やる気はあるが奥さんの承諾がとれない、など様々な言い訳を自分にして自分の中で消化し、いつの間にかうやむやに記憶のかなたに忘れ去ってしまいます。

こうした人たちは、もしやってみようと考えて、そのリスクがどれくらい高いのか考えてみても、リスクを測るモノサシ自体がないため、リスクがどれくらい高いのかわからないのです。
リスクは個人によって主観的な高さが違いますし、自己の家族環境や生活背景や社会的地位によってリスクをどれくらい取れるかが測れると思います。

では社会的地位があれば、相当に高いリスクがとれるのでしょうか?
リスクをどれくらいとれるかを考えるにおいては、将棋の羽生さんの著書『決断力』によると、「積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にする」との名言があります。リスクはとことんつきとめて考えると、想定の範囲のものになり、もはやリスクではなくなることもあります。

そして私の個人的な意見かもしれませんが、サラリーマンだからこそとれるリスクをとことん考えると、サラリーマンが生かしきれていないポテンシャルに、与信(保証担保)というものがあります。サラリーマンでもできる自己実現方法の一つとしては、サラリーマン大家さんが現実的で、規模にもよりますが、地方の200万円程度の中古区分マンションに投資し、オーナーになることは、つきつめて考えればそんなにリスクにはならないでしょう。
前部では、サラリーマンでは経済的自由を得ることが難しいと否定的なことを伝えましたが、安心して下さい。サラリーマンの属性を生かせば、実に多くのメリットがあるのです。それは、社会保険や厚生年金、企業年金、休業時の休業補償や休業手当、労災時の補償、有給休暇などです。

このメリットの中でも一番見えにくいメリットは、与信です。一般的には安定した賃金という目の前のもの、目に見えるものにメリットを感じるかもしれませんが、与信という最大の信用取引のデポジットを使っていませんし、忘れ去られています。住宅ローンを組む時ぐらいでしょうか、意識するのは。

与信とは、その人の信用のこと。与信幅とは、その人の信用の度合いを具体的に見える形で数値化しておカネに引き直したものです。
サラリーマンも、勤続10年を超えるぐらいから信用がついてきます。言い方を変えると、サラリーマンであり続けることで、信用貯金をするとコレが保証担保となり、融資を受けることができます。それが住宅ローンの時だけなんてもったいないです。この勤続10年の与信価値は、普段生活する中で意識することはないでしょう。中小企業の社長の肩書があまり担保にならないことに比べて、大手の上場企業や優良企業に勤続10年であることのほうが、担保価値は高いのです。

せっかく勤労貯金した与信貯金という信用を放置しておくのは、もったいないという感覚をもっていきたいものです。利用しないことは経済的な潜在価値を放棄していることとなり、機会損失(実際の取引によって発生した損失ではなく、最善の意思決定をしないことによって、より多くの利益を得る機会を逃すことで生じる損失のことをいいます)が生じていると言えるでしょう。

絶対に儲かる不動産投資はない
世の中に絶対に儲かるものはありません。特に投資では。これは経済学を勉強すると当然の理論です。
3億円の宝くじを買った時に、売った側が当たりのくじに対して3億支払っても、それ以上に収支が見合うように買う人の人数を推測し、くじを売っているので儲かるしくみになっているわけです。また仮に儲かる投資があったとした場合、これを誰か一人が気づいて先行してリスクを承知でやったとしましょう。リスクとリターンは必ず比例します。高いリスクをとったら高いリターンがあるわけです。投資を図で表現するとピラミッドだと私は思っています。
てっぺんに高い利益があって、最初に投資した人がハイリスクを覚悟しながら、上から利益(高いリターン)をとれるだけ切り取って(先行者利益と言います)いきます。
切り取る過程で、最初に投資した人がどんどん切り取ると台形に近づいていき、最初に投資した人の成功を横目に見ていた後発者が、次に参入して最初よりも多い人数でまた切り取っていきます。そうすると、ピラミッドの中間ぐらいの状態となって、すでに競争人数があまたいる状態なので、ミドルリスクになって当然ハイリターンにはなりません。
ピラミッドで言うと、一番てっぺんの利益を一人でガメってしまう場合は、誰もやったことがないことを、自分だけが知ることのできる情報を持っていて、誰よりも先行して利権を得ることのできる立場で、誰よりも高いリスクを負うことのできる余剰資金を潤沢に持っていて、誰の承認やコンセンサスを得ることもない立場で、誰よりも神速のスピードを持つ判断力でやる必要があります。

幻冬舎の見城社長もあるテレビ番組で、「誰もやったことのない極端なものにこそ、投資する価値がある」と言っており、まさにこれは真理だと思っています。
さて、そんな人がいるでしょうか?
人は誰かに相談したり協働したり、会社規模なら上席者の決済をとったり何かしらのしがらみを持っています。つまり、誰かが先行してやる時、それは他の誰かも同じ思いで先行している可能性が高いわけです。それは経済学的な考えで言うところのインセンティブに誘導され、マーケットでゲームするプレイヤーは、みんな同じように行動してしまう特性があるので当然なのです。

ましてや個人投資家ならばなおさらですし、一流企業でも、他の一流企業と同様のマーケットでしか競争できないわけです。何か新しい消費やマーケットそのものを生み出す素晴らしい革新もあるかもしれませんが、それは何かの代替手段や代替マーケットになっている可能性があるのです。ポケモンゴーのような新しい遊びはなかなか出ないものですし。
だから人は何らかのしがらみを持ち、何かの動機(インセンティブ)により動く性質があるため、必ずそうなるようになっているわけです。

したがって、この投資は儲かるらしいという「ここだけの話」的な情報を聞いた頃には、すでにみんなが知っているピラミッドの下の方の話であって、あたかもピラミッドの上の方の話のように、まことしやかに囁かれるだけで、すでにカモられてしまう側にいる可能性が高いということです。

おわりに
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
サラリーマンが経済的自由を得て自分らしい「生き方を選択」できるかという切り口で、パラレルワークとして不動産投資を使う提案を本書ではしました。
投資において出口戦略という言葉があります。これは、投資をする際に、投資の入口で利回りや投資額に見合った効果が見込めるかどうかだけではなく、その選択をいつまでやり続ける(持ち続ける)必要があって、いつで切り上げれば良いか(売れば良いか)を考えることを言います。

さて、サラリーマンを長くやっていると、日々のルーチン業務に追われ、目の前の仕事を期限内にこなすことがいつの間にか目的となってしまい、本来は手段としての業務が目的化してしまいがちです。
サラリーマンを投資にたとえると、会社の入社は投資の入口、退職、定年退職は投資の出口にあたります。サラリーマンをやる際に入口で何を考え、会社をどうしたいか、自分はどうありたいかを想像し、ワクワクしながら入社していた頃を思い出してみてください。また、漠然とその時に出口のことも一緒に考えていませんでしたか?

入社した時に退職すること、つまり出口戦略を考えていたとしても、具体的にいつまでにどんな成果を挙げて、何を身に付けたら辞めるかを考えていたことも、生活環境や家族背景の変化、そして時間経過とともに、手段としてやっていた仕事がいつの間にか目的となってしまい、つい仕事を惰性でやり過ごしてしまう日常はむしろ一般的であって、仕方がないことかもしれません。

しかし、それでは出口戦略どころか、入口での目的や目標さえも達成できない。朝が来たら会社に出社し、時間が来たら帰るだけの生きる屍のような、会社に飼われているだけの時間奴隷になってしまいます。

それでも個人商店や事業主に比べると、サラリーマンは安定していることは事実かもしれません。しかし、サラリーマンが一生涯で得ることのできる賃金や報酬では、経済的自由を得ることはできません。経済的自由とは、『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター著)曰く、「経済的に制約されることなく自由に生きることができること」と定義しています。サラリーマンでは分業制により、資本家のように自ら稼ぐことができないしくみを虐げられる。弱い立場で自ら稼ぐことができない。しかし、安定したサラリーを得ることができます。これを逆手にとって自らパラレルワークで稼ぎながら、サラリーマンの自分にフィードバックして、いいところを学ぶべきだと述べました。
サラリーマンでも代替のきかない立場になれば優位になることができ、これは一部のクリエーターや優れた技能、伝統の技や、特異まれな才能、優れた経営センス、文芸や芸術の分野では考えられます。

これからの子供たちは、AI化により、今の世の中の労働との関わりが大きく変わるとも言われています。労働には2つの種類があり、知的労働と、カラダを資本とする時間労働のことです。

知的労働とは、考えマネージメントする労働で、カラダを使う肉体労働や時間に拘束されて確認するような労働ではありません。大半のカラダ側の労働は機械やシステムにとって代わられ、知的労働で生きるすべを持たなければならないと思います。それはいい学校を出ていい会社に就職するルートが黄金ルートではなく、時代にあった生き方のトレーニングをすること。
映画『ターミネーター』で、母親のサラ・コナーが息子のジョンに銃でターミネーターとの戦い方や戦術を教える場面にも似ており、それがその映画の中の設定された真の生き方の訓練なのだろうと思うわけです。

だからこそ、サラリーマンは、会社に属しながら抜本的な生き方改革であるパラレルワークで、稼ぎ方の訓練と会社経営をする大局観を身に付ける必要があるだろうと思います。

おわり

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